タイトル画像
釜石市にて、瓦礫の山の前で

被災地を訪れてみた (2012/02/13〜16)




自転車New World Tourist
総走行距離4日間で250km
ルート 【2月12日(日)】 自動車で自宅から久慈市内まで移動。つたや旅館にて泊。
【2月13日(月)】 走行距離54km →ルートラボで表示

久慈市内 → 県道268号線 → 道の駅のだ → 国道45号線 → 国民宿舎えぼし荘(昼食) → 普代駅 → 県道44号線 → 国民宿舎くろさき荘(泊)
【2月14日(火)】 走行距離73km →ルートラボで表示

国民宿舎くろさき荘 → 県道44号線 → 田野畑村 → 国道45号線 → 道の駅たのはた → 国道45号線 → 県道259号線 → 宮古市内 → 宮古ホテル沢田屋(泊)
【2月15日(水)】 走行距離68km →ルートラボで表示

宮古市内 → 国道45号線 → 山田町 → 道の駅やまだ → 大槌町吉里吉里地区 → 県道231号線 → 国道45号線 → 釜石市鵜住居地区 → 宝来館(泊)
【2月16日(木)】 走行距離51km →ルートラボで表示 午前 午後

宝来館 → 国道45号線 → 県道242号線 → 釜石駅
釜石駅より種市駅まで輪行(釜石線〜東北本線〜IGRいわて銀河鉄道〜青い森鉄道〜八戸線)
種市駅 → 国道45号線 → 県道279号線 → 国道45号線 → 久慈市内
久慈市内に止めておいた自動車に乗り野田村まで。小野旅館にて泊
【2月17日(金)】 自動車で野田村より自宅まで。


はじめに

山田湾を臨む
山田町 船越半島の付け根にて山田湾を臨む


私はこれまでに三陸海岸を2度訪れています。
1回目は2006年8月、2回目は2009年9月に(ツーレポは未作成)。
深い山が海のすぐそばまで迫る美しい地形の中、楽しいツーリングをすることができ、すっかり魅了されてしまいました。

2011年3月の地震で未曾有の災害に見舞われたこの地域ですが、この美しい地域がどうなっただろうと心の底に引っかかっていました。
2012年1月末〜2月初めに、ほんの少しだけですがボランティア活動に参加。
その後もネットで色々と見ていると、被災地に旅行に行って美味しいものを食べてきたという記事が少しですが見られ、私もまた(作業でなく旅行として)訪れたいという気持ちが湧いてきました。

行っても良いのだろうか?行かない方が良いのだろうか?
物見遊山でのこのこと出かけていったりしたら、現地の人が不愉快に思ったり迷惑に思ったりしないだろうか?
迷ったのですが、とにかく少しでも地元にお金を落として現地経済の活性化に寄与しよう、と理由をこじつけて出発しました。

現地を走り回ったのはたかだか4日間。
私が見たのは被災地のごく一部ですが、とにかくそのときの景色や印象をまとめてみたので、よろしければ読んでみてください。

※ 地元の方々がいる前では写真を撮るのを控えました。また工事関係者が忙しく働いているそばで写真を撮るのも邪魔になるので控えました。写真を撮っていない場所で、ここに載せた写真よりもひどいところもあります。
※ このページの末尾に、宿泊施設等の情報(2月現在)へのリンクをまとめてあります。
※ このページ内の写真をクリックすると拡大画像を見ることができます。拡大画像は1024×768でファイルサイズは100〜300kbほどです。


被害の大きさ

壊れた堤防
破壊された堤防


基本的に今回は県北部から走り始めて南下するというルートを取りました。

ほんの4日間ほど訪れただけで被害の全貌がわかるはずもないのですが、県の北部は比較的に被害が小さく、南部ほど被害が大きいようです。

被災された方々一人一人はそれぞれ大変な思いをされているわけですから、安易に被災した人の数や建物の数だけを見るのは誤りなのかもしれませんが、それでもやはり被害の小さかった地区から大規模に破壊された地区に入ると、その凄まじさに声も出ませんでした。


普代村の眺め 北部の普代村。普代村の中で私が通った場所に関しては、被害を受けた場所は比較的少なかったようです。
理由として考えられるのは、
・津波の向き(上述の通り北部にはあまり津波が来なかったらしい)
・防潮堤がきちんと機能した(堤より海側では破壊されていた)
・海のすぐそばまで山が迫っているので、そもそも低い土地が少ないし、人口密度も薄い

田野畑村の被害 それが南隣の田野畑村に入ると凄まじい被害が目に飛び込んできます。
海に近い平らな土地が丸ごと津波に洗われてしまっています。堤防は壊れてしまって役に立たなかったようです。

上の写真を撮った場所から少し坂を下りたあたりで、近所の人とおぼしきおばちゃん二人がふきのとうを採っていました。震災の前にもこうしてこの時期には山菜採りをしていたのでしょうか。

宮古市内にて 宮古市内に入っても被害が目立ちます。
市役所、駅、その他商店街などは海から少し奥まったところにあるのでそれほど被害はないようですが、海に近い地区は壊滅的。


宮古は意外と(失礼)大きな町で、自動車学校もあります。
ゆっくり慎重に走る教習車(都市部では見慣れた例の車)が、がれきの間を縫って走る眺めは、ちょっと非現実的でした。

山田町にて 山田町も広い範囲で更地になってしまっています。
町役場のすぐそばまで津波は押し寄せたようです。もしかしたら役場の建物も水に浸かったかもしれません。

大槌町吉里吉里地区にて   大槌町吉里吉里地区にて
大槌町の吉里吉里地区。南へ行くほどにどんどんと被害がひどくなっているように思います。

2枚目の写真ですが、私が立っているあたりまで更地になっていました。
と言うことは、かなたに見える海が、私のあたりまで膨らんできたということですね。

大槌町中心部への道 大槌町の中心部へと向かう道。
ここ大槌町では役場まで津波が押し寄せて、当時の町長が亡くなりました。
中心部のあたりまで町はズタズタ、道もあちこちで工事をしていて通れず、暫し迷走してしまいました。

釜石市鵜住居地区にて   釜石市鵜住居地区にて
釜石市の鵜住居(うのすまい)地区。
ここもひどくやられていて、どこの道路がどこにつながっているのかよくわからなくなりました。
1枚目の写真、津波に流された軽自動車が校舎の3階の窓に刺さっているのが見えるでしょうか。

訪れたのは2月ですが、震災から11ヶ月が経った後でもこのような状況。

一方で、

高台の里山 被災地とほとんど隣り合わせの高台にちょっと行くと、いつもと変わらない里山の風景が広がっています。


復興の進み具合

工事中
襞のような海岸線の、隠れ家みたいなところでも工事中


※ 道路の状況については下の「道路の状況」の項目で詳しく書きます。

あちらこちらに瓦礫の山があるのに出くわしました。
これらの瓦礫の処理が問題になっているとのことです。確かに、これだけの瓦礫が居座っていたら、復興に手を付けようにもなかなか進まないでしょう。

旧・鯨と海の科学館
もと「鯨と海の科学館」の敷地。建物はほとんど無くなり、瓦礫置き場になっています。
瓦礫置き場の自動車
こちらも瓦礫置き場。原形をとどめていませんが、これ全て自動車のなれの果ての姿です。
片付けられるのを待つ生活用具
これまで人の生活を支えていた品々。使えなくなった品物が散らばっていたのをここに集めて、これから瓦礫置き場にまとめて運ぶのでしょう。
散らかったままの集会所
とある団地の集会所。周辺は片付けられてほとんど何もないのですが、この建物だけほとんど手つかずのようです。みんな自分の家だけで精一杯で集会所の片づけまで手が回らないのでしょうね。
倒れたカーブミラー
上の釜石市の写真でも倒れた街灯が放置されていますが、ここでも倒れたカーブミラーがそのまま放置されています。


道路の復旧がかなり進んでいるようなのに対して、鉄道の復旧はかなり手こずっているようです。
JRでは、八戸線は2012年3月に運行再開とのこと。しかし釜石線や山田線は、とりあえずバス路線として運行再開の意向のJR側と、あくまで鉄道での再開を主張する地元自治体との間でもめています。
三陸鉄道 三陸鉄道は、ごく一部の区間のみ運行再開していますが、まだ再開していない部分はいつ再開できるかわからないようです。

ここまで載せてきた写真からもおわかりかと思いますが、建物の建設も進んでおらず、更地が目立ちます。
何やら建設中
何やら新しく建物を建てているところも見かけましたが、どちらかというとそれは例外。
仮設の病院
仮設の病院。
仮設のコンビニ
コンビニも仮設。


それでも、

感謝の看板   感謝の看板
感謝の念を心に持ちつつ頑張っている方々が多いんですね。


道路の状況

海っぺりの道
海岸にへばりつくように走る道


建物などよりも道路を優先的に復旧工事しているという印象を受けました。
かなりの場所で普通に通れるようになっています。

なお、特に被害が大きかった地域、たとえば私が今回走った中では大槌町や釜石市などでは、地図上ではあることになっている道路が現地では存在しなかったということがありました(震災直後はそういう道路が多かったのでしょうが、現在はどちらかというと稀です)。
また、道路はあるけど、工事車両がひっきりなしに通っていて、とても自転車で通れたものではない、と言う箇所もありました。

思わぬ迂回をさせられても慌てずにすむように、余裕を持った計画にするのが良いと思います。

狭い県道
三陸海岸沿いの道の常として、どこを走ってもアップダウンは必ずあります。

また、ところによってはかなり狭い道もあります。
ちなみにこの写真の道路を走っていたとき、路線バスとすれ違いました。えらいこっちゃ。
片側交互通行
また、通れるとは言っても、あちこちでまだ工事をしていて、片側交互通行になっている箇所が多くあります。
そんな場所を自転車で通ると、車の流れが悪くなって、現地の方々や工事関係者に迷惑をかけてしまうおそれがあるので、歩道がある場所では歩道を走るなど、柔軟に対応した方が良いでしょう。

凍結した道路 沿岸部はあまり雪は降らないのですが、それでも除雪の入らない林道などは路面が凍ってスケートリンクみたいになっています。
人が住んでいるところはだいたい除雪されているので、心配ないと思いますが。


余談ですが、宿の女将さんに聞いた話。
ニッポンの道路の例に漏れず、震災の前からここ岩手でも、誰も住んでいないような山や田んぼの真中に立派な道が造られていたそうです。
「こんな無駄な道を造って、誰が通るんだろう」と思っていたけど、震災で海沿いの道が通れなくなったときに、その山の中の道がとても便利だった、と言うことです。
何が幸いするかわかりませんね。


宿・食事

つたや旅館の部屋の様子
久慈市のつたや旅館。こぢんまりして居心地良し。


※ 震災により廃業した宿泊施設が多くあります。このページの末尾に、2月現在で私が入手した宿泊施設等の情報へのリンクをまとめてあります。

【宿の食事】
宿の料理  宿の料理  宿の料理

前に三陸地方に来たときはテント泊だったのですが、今回の旅では「地元でお金を使って少しでも経済活性化に寄与する」というつもりで来たので、全て宿に泊まりました。
ビジネスホテルみたいなところでは普通の食事ですが、旅館や民宿などの食事では基本的に海の幸三昧です。ここ三陸は素晴らしい漁場なのです。


【飲食店】
かき小屋
山田町にて、「復興・かき小屋」の幟があちこちに立っているのに誘われて行ってみたら、無念の定休日。牡蛎をたらふく食ってみたかったんだけどな〜。
でもそばに貼られていたポスターを見たら「完全予約制」と書いてあったので、たとえ営業していてもありつけなかったと思われます。
久慈市や宮古市のような大きな街では食事できる店が多くあります。
小さめの街では食堂を探すのが難しいです。田舎はどこも同じですが。
道の駅がそこここにあるので、そこで食事することが可能です。


【宿泊施設】
釜石市の宝来館
釜石市鵜住居地区に立つ旅館「宝来館」。
大きな被害を受けながらも2012年1月に営業を再開しました。

ここは被害が大きかった地区で、地図には道路が載っていても通れないし、周辺は街灯が無くて夜は真っ暗なので、泊まる場合には時間に余裕を持って行くこと!
宿泊施設は、営業していても満室のことが多いです。
工事の作業員の人たちが多く泊まっているので。
久慈市や宮古市などの大きい街では比較的取りやすいかもしれません。
あるいはどうしても予約できなかったら、内陸(盛岡や花巻など)に泊まって、そこから沿岸部まで往復すると言う手もあります。
なお、作業員さんたちは週末には家に帰ることが多いので、金・土・日は空き部屋が多いようです。

宿でテレビのニュースを見ていたら、新年度からは復興の工事が加速されて、しかも工事業者の入札条件を緩和する、などと言っていたので、4月以降はさらに宿が予約しにくくなるかもしれません。

ただ、最終日に泊まった「小野旅館」の女将さんに聞いた話では、直前になって「資材が届くのが遅れている」「作業人員が集まらない」と言ってキャンセルになることもあるから、電話してみれば空いているかもしれない、とのことです。


【おまけ】

空調器具
国民宿舎くろさき荘の部屋に入ると、床の間に空調器具が鎮座しています。

暖房を入れようとして、器具の右端にあるコントロールスイッチのカバーを開けると、
空調器具
・・・忘れかけていた大切な何かを思い出すようだ。


風景


1回目に訪れたときは快晴で、日に照らされた海は素晴らしい色を見せてくれて大感激しました。2回目はあいにくの曇り空で風も強かったのですが、それはそれで荒々しくて印象的な眺めでした。
今回の旅では前半は薄曇り、後半は晴れ。薄曇りと晴れでは、海の色は全く違います。

あれこれ写真の構成を考えるのも大変なので、あまり考えずに並べます。おおむね訪れた順番に並んでいます。

久慈市での眺め
波が荒いのでしょう、あちこちで奇岩を見ることができます。
(久慈市)
久慈市での眺め
この日は天気が良くなかったのですが、たまたまこのとき日が差してきて海の色が美しくなりました。
(久慈市)
普代村での眺め
過去2回とも訪れた、大好きな場所。深い山の間から海が見えます。
(普代村)
普代村での夜明け
国民宿舎くろさき荘から朝日を臨む。
(普代村)
北山崎展望台での眺め
北山崎展望台からの眺め。ここでも奇岩が見られますね。
(田野畑村)
山田湾を臨む
山田湾を臨む。
(山田町)
山田湾を臨む
山田湾は牡蛎やホタテの養殖が盛んなところで、震災前には筏がたくさん浮かんでいました。壊滅的な打撃を受けた後、少しずつ持ち直しているとのことですが、やはり以前に比べると筏は少ないようです。
(山田町)
山田湾を臨む
これも山田湾。この日は良い天気でした。

少し離れたところから、水平に近い向きで眺めると、海はこのような深い青色に見えるのですが・・・
(山田町)
山田湾
・・・近くまで行って上から覗き込むと、ホレ、この通り。
(山田町)
浪板海岸にて
大槌町の浪板海岸。震災前、この美しい海岸は海水浴客で賑わっていたそうです。通りかかったときはおじさんが二人、多分ゴミ拾いをされていたんだと思います。
(大槌町)
浪板海岸
これも浪板海岸。道路を挟んで海と反対側は、津波のために更地になっています。
(大槌町)
大槌町にて
いったん登って山の中を走った後、海へと降りて行く。
(大槌町)
大槌町にて
赤浜地区では「ひょっこりひょうたん島」のモデルになった蓬莱島を見ることができます。
(大槌町)
夜明け
大きな被害を受けた釜石市鵜住居地区にて、旅館「宝来館」の前からの夜明け。
(釜石市)
踏切
海への踏切。
(洋野町)


おわりに

復興構想パンフ
宝来館の女将さん作成のパンフ


今回の旅は、個人的には今までの中で最も印象に残ったもののひとつとなりました。
行くことが良かったのかどうかは未だにわからないのですが・・・。

震災から1年近く経ち、私自身、興味が薄れていたと思います。
今回泊まったとある旅館の女将さんからは「被災地をしっかり見ていってください」と言われました。
自分の脚で走り回り、自分の目で見ることによって、被災地のことを心にかけていたいと言う思いを新たにしました。

ささやかな力ながら、このレポートを書いたことによって被災地を見守る人が増えることにつながれば嬉しく思います。


(付)各種情報へのリンク


被災地では多くの旅館やお店なども被害を受け、廃業に追い込まれたところもあります。
私自身がこの2月時点で調べた情報へのリンクをここに貼っておきます(順不同)。参考になさってください。

下に紹介しているサイトの多くで、ブログも開設しています。最新の情報はブログを見た方が良い場合もあります。

ここで紹介している情報は古い場合があります。実際に訪問される場合は、必ずご自身にて電話などで現地に確認してくださるようお願いします。
上の「宿・食事」の項目でも書いたとおり、工事関係の予約により宿を押さえにくいことが多いのでご注意下さい。


宮古旅手帳 > 泊まる
社団法人 宮古観光協会のページ。各種宿泊施設の紹介がありますが、全て震災後も営業しているかどうかは確認していません。
なお、宮古に泊まってありがとうキャンペーンの紹介ページに載っている施設は確実に営業していると言えます。ここに載っていない施設で営業しているところもあるかもしれません。

普代商工会
普代村の案内。
ページ左側の「観光スポット」をクリックすると宿泊施設の紹介を見ることができます。
「くろさき荘」と「みちあい」が営業していることは確認済みですが、「まついそ」については確認していません。

田野畑村サイト中の「宿泊・飲食等施設のご紹介」ページ
田野畑村内の施設の紹介ですが、すでに廃業したものも含まれます。
現在の営業状況については、「東日本大震災に関連する『田野畑村観光情報』について」のページよりPDFファイルをダウンロードしてご覧下さい。

山田町観光協会 > やまだに泊まる
山田町内の宿泊施設ですが、廃業した施設も含まれているようです。
トップページからブログも確認してみてください。

釜石観光物産協会
釜石市内の情報。
ページ右側の「市内宿泊施設情報」というリンク(PDFファイル)で営業しているかどうかを確認できます。ページ左側の「ご宿泊案内」で各施設の地図を見ることができます。

いわての旅
トップページ > いわて旅の予約
地域別に宿泊施設を探すことができます。ただしここに載っていない施設も多いです。
トップページ > さんりく観光情報 > 営業情報一覧
ここで営業再開情報を提供しています。

野田村観光協会 > 泊まる
野田村の宿泊施設の営業状況がわかります。

大船渡市観光物産協会 > 宿泊施設
大船渡市内の案内。
「宿泊施設」ページを見ればだいたい営業状況がわかるようです。
このページ上部の「市内宿泊施設一覧情報(おおふなとブログへ)」で最新の状況が確認できます。



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